気功から見た阿修羅像
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 今日お話したいことは『阿修羅』という仏像のことです。

 阿修羅の仏像、すごく大きなことです。歴史観とか、宗教観とか、国際戦略のこと、そういうことを考えればすごくいいですよね。阿修羅の仏像は、ただ美しいとか、綺麗だとか、いろいろな角度から見ても美しいとか、特に上野の美術館に来た時すごく大勢の人が長く並んで、私もたくさん写真を持っていますが、皆さん「美しい」という角度から説明する、芸術的な説明ですね。

 しかし、本当に宗教的なことの説明は、理論的、宗教的、歴史的な説明は、どうでしょうか。それは手印の説明があれば終わりです。
 私は何年か前、奈良と京都の大きなお寺の中に入って、立っているたくさんの仏像を見た時、皆、気功法をやっている、皆、タントウしている、と思いました。お坊さんが聞いたら絶対怒りますよね。「それは仏教の修行です。何が気功ですか。タントウとか、そんなことではありません。」と、否定される、怒られると思います。私が客観的に見ると、形をつくって、長い時間立つと、身体のエネルギーが出て、手の形によってアンテナになり、宇宙エネルギーとの交流が出てきます。基本的にそういうことは、手印、気功のタントウ、あとインドのヨガ、この3つのものは、一緒のものだと思います。中身がわからなければ、全部形です。阿修羅の仏像を造る時は、ちょうど日本は大変な時代でした。餓死とか飢饉とかいっぱいでした。その時からどんどん変わって、今、日本はそういう時代ではないですけれど、やはりある面、いろいろな生き方とか、大きなことを考えないとなりません。阿修羅の仏像は、教えてくれるんです。阿修羅はただ仏像、綺麗というだけではないのです。

 阿修羅の手はいろいろな形がありますが、それは手印です。実際は、それ自体は、ムービーの代わりです。その時代にムービーは無いから、そういうものを重複の形で残したのです。重複の形で、こうして、こうして、こうして。
 千手観音という気功法があります。千手観音もいろいろな流派がありますけれども、でも基本的には、手を伸ばすことです。伸ばして、胸の真ん中で、合掌する。伸ばす、伸びる。伸ばす、伸びる。伸ばす、伸びる。合掌する。いろいろな角度で、伸ばす、伸びる。最後に自分の中丹田のところ、合掌のところ、胸のところに戻ります。その時代は、ムービーが無いから彫刻に残したのです。

 阿修羅の顔の表情ですが、笑う、ではないし、泣いている、ではないし、そういう表情は、仏教の代表的な表情です。慈悲の表情です。慈悲の表情ということは、かわいそうね、かわいそうね、と泣くことではありません。ただそういう事実を認めて、認めている。これからも頑張るしかない。

 阿修羅の形、どうして千手観音かということですが、個人的に考えれば、私たちがいつも気功でやっていることです。いろいろな角度で、両手を伸ばす、伸びて、いろいろなところへつながります。エネルギーがつながっています。つながって、自分の中丹田に戻します。つながっていくところ、自分の身体のバリアから離れるところは、4次元ということです。4次元のところへいったら3次元のところへ戻ります。ね。3.5次元を超える、3.5次元はいつも私がバリアと言っているところです。バリアのところが3.5次元。3.5次元のところ、もっと伸ばす、伸びると、4次元へいきます。4次元のところへいったら、3.5次元から3次元へ戻ります。ね。3.5次元から伸ばすと4次元のところ、4次元へいくと自分の3次元へいく。だから中心へ戻る。

 国だったら、周りの国との関係ですね。阿修羅の仏像はすごく見せてくれて、ああ、国も同じだ。いろいろ国の関係があって、最後は自分の国の利益、国民のため、そういうところに戻ればいいです。阿修羅の仏像は、私の目から見て、気功をやっているということ、気功をやっているそういうムービーを残したい、その時代にはムービーが無いからそういう彫刻の形にしました。そういう発想。阿修羅がそうでしたら、ほかのお寺の中の仏像も、手印が全部、健康関係です。肝臓関係の弱い方はこうだとか、心臓が弱い方はこうだとか、そういうことは気功の先生の目から見て、そういうお寺の仏像のやり方は逆に理解しやすいです。

 気功の目から見ると、仏教の仏像の形、修行の形、すごくわかりやすいのです。
 私は今日、そういうことを皆さんにお伝えしたかったのです。阿修羅。

       
       盛先生による複数のタントウ写真を合成したもの


                         平成25年1月27日 盛鶴延
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